やめる子どもがふえたことについて

県登録もし、人数も増え、おかげさまで練習試合の相手にも困らない。十分ではないけれどコーチも審判も増え、試合数も増えた。

しかし・・・・。

何かが変わってきたのは、なんとなくフツーのクラブになっていないかと心配に。

それはやめる人が増えてきたからだ。サッカーが楽しくなくなっているのかもと。楽しさを教えなくなったら、それはコーチの責任でもある。コーチの中には、私が厳しくサッカーを教えていないという批判があるようだ。
厳しさってなんだろう。

池上コーチの話を引用しよう。

「やらされているサッカーでは、楽しいはずもないからだ。

せっかくの才能のある子がやめていく。

指導の厳しいことで知られるコーチ指導者のところでそんなケースが多い。


試合後に、「あれが悪い。これが悪い。」と口で言っても

子どもの耳には、届かない。

それよりも次の練習でまずかった場面を再現し、子どもが自分で考える状況を作る方が理にかなっている。
 
それがサッカー先進国のヨーロッパ流だ。 

日本では、基本が大切だとしきりに言われる。

だが、手で投げたボールを胸で受ける型どおりの練習を何度やっても、実際の試合の速く、強いボールには、対応できない。

実践では、仲間の位置を見て、どこにパスするか、どんな強さならつながるか、瞬時に判断する力が求められる。
 
それには自分で判断する経験を重ねるしかない。

大事なのは、子どもが本当に楽しんでやっているかどうかなのだ。

楽しければ子どもは、真剣になるし、自分で工夫する。

それがうまくいけば、益々楽しくなる。

仲間と考えた事が成功すれば、最高だ。

失敗したら別のやり方でやればいいと言う感覚も身につく。

おもしろいと思えば、当然勝ち負けにもこだわる。

負ければ何がまずかったのか、あれこれ言わなくても、自分たちで考える。
 
子どもが自分で考えられるような環境を整えるのが大人の仕事だ。
 
日本では、練習でも試合でも、コーチの指示通りできなかったりすると、責められたり負けようものなら、罰としてのランニングが待っている事もある。

これでは、心が弾まなくなるのも当然だ。

試合で負けて、落ち込む子どもを励ますどころか、何をやっているのかと責め立てる親までいる。

サッカーは、チームスポーツだ。

私の所では、学年の枠をはずし、幼稚園から中学まで一緒に練習する。

相手の力を判断して、とりやすいパスを出す。小さな子どものことを考えられる子ほどうまくなる。
 
多くの人と触れ合い、自ら動くことを通して、人間として成長できるのがサッカーというスポーツだ。

 それを多くの大人に分かってほしい。」

引用が長くなりましたが、今のクラブの状態を私は決して悲観しているわけではありません。
女子率約25パーセント。保護者の応援の言葉もとてもあたたかい。ママは自主的にサッカーを楽しんでいる。

日本代表に選ばられるような選手が、どなられて、罰を受けて育ったなどということはありえない。楽しいことでしか本当に脳が活性化し成長することはないとは、脳科学の世界でも常識の話だ。中田や本田や香川が、小学生のころ、どれだけサッカーを楽しんで自分を磨き上げたか。

それだけ考えても下手な子が叱られるというクラブにだけはしたくない。コーチの楽しさは、下手な子も楽しくサッカーをして、自分でいろいろなチャレンジをしてうまくなることのはずだから。

とはいえ楽しい練習を創造することは、簡単なことではない。JEFにいた池上コーチのところに月1回通って、3~4年学んだ中で、1~2年間楽しい練習を作ってみようと大人が頭をひねって、宿題を発表し合ったことがある。多い時では3~40人集まった池上ゼミナールの指導者たちの結論は、「子どもが本気になるメニューを創造するということは、容易なことではない」ということだった。

オシム監督は、小さい時からサッカーで楽しい遊びを思いつく天才だったと幼なじみが証言しているNHKのドキュメンタリーを最近見た。楽しい練習を創造するというのは、楽しい遊びを考えるのと同じです。

「遊びに来たんじゃないだろ」とうちのコーチがいう。「遊具で遊ぶな、まじめにサッカーをやれ」と。

私は「ブランコより楽しい練習を」考えられるコーチがどれだけいるだろうかと思う。自分も含め。

私は、自分が仲間とのおしゃべりより聞くに価する話ができ、ブランコよりも楽しい練習もできるコーチになっているだろうかと心から思った。

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